見えないから怖い春の日

今年は暖かくなるのが遅くて、彼岸を過ぎてもそら寒い日が続いてた。4/1になってようやく朗らかな日になった。

春は朗らかだけど、同時に春愁というか、少し暗い気分になることがあるのは、出会いや別れの季節だからというのは確かにそうかな。「天使なんかじゃない」か「ご近所物語」か忘れたけど、確か矢沢あいの漫画で、「知らない人に向かって行く元気はまだないんだ。」というような描写があって、別れがリラックス、出会いがストレスそしてスリルというのも、4月になってからの春にそわそわする一因なのだなと。

他にも、周囲のことが活発に動きだすように見えるのに、自分はなにやってるんだろうとか、そういう漠然とした目に見えない不安もあって、春はなかなか大変な季節だなと、毎年ながらに痛感する日々。

そういう漠然とした不安以外にも、半ば恐怖というのは確かにあとふたつ。

ひとつは、放射性物質の問題。これもわからないから怖い。汚染された水や野菜が腐ってるのとはちがって、悪くなってるのがわからないのが、一番怖い。わからないからこそ、現象が勝手に加速して、行き過ぎた防御になったり、ノーガードになり過ぎたりする。

今のところ、原発から十分に離れた首都圏では、大人が普通に食べたり飲んだりするのに心配な数値ではないけれど、3/22の千葉のこともあり、特にお子様や妊婦さんにおいては、用心にこしたことはないかなとも考えるのが、今の個人としての立場。

 

そして、それより困難なもうひとつが花粉症。元々の出身が北海道な私は、首都圏での生活をはじめて数年は平気だった。だけれど、何年か前から発症して、去年、今年とどんどん調子が悪くなり、今年に至っては、眼科と耳鼻科に行くレベルという悪化の一途をたどりつづけた。

花粉症がきついのは、これもやはり見えないからで窓をあけたり外に出てみたりすると、突然、目や鼻に諸症状が現れて実際辛いのと、あとは折角の春の朗らかな晴れた日なのに、外に出る気分を押さえ込まれたり、何をするにも億劫になるのがひょっとすると症状そのものよりも悪い影響だと思う。だからと言って外出すると、やっぱり目に…、と。t特に今年は目に症状が強く出ていて、それがまた辛いところ。

こういう気分の春の日が年度がわりというのは、酷なのかも知れないと考える今日この頃。

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